* 更紗について *

<推薦図書>








更紗の起源については諸説あるものの、インドが最有力となっています。
では、更紗とは何か。一番簡単に言ってしまえば、様々な方法で柄を染めた木綿です。

その技術は、大体次のようなものになります。
1)先に染めたい部分の布に媒染剤を染み込ませ、そこに染料を付けてから洗い流す。すると、媒染剤が付いた部分にのみ染料が残るために染められる。
2)染めたくない部分に蝋や糊伏せをして、その他の部分に染料が染み込むようにする。

濃く染めたい場合には、染めては洗い流し、干し、また染めての繰り返しを行います。
図柄は木版、カラムと呼ばれる筆などが用いられ、更紗によりどちらか一方の技術を使ったもの、両方を併用したものがあり、染め方の手順に於いても同じ事が言えます。

主な産地はインドやペルシャとなりますが、中央アジアなど周辺国でも製作され、ヨーロッパでも次第に作られるようになりました。特にヨーロッパでは産業革命後は機械化が進み、染料も化学染料が徐々に開発されて行った為に安価になり、輸入品だった更紗が輸出品にまでなりました。
東インド会社を通して輸入に頼っていた日本でも、江戸時代から更紗が作られ始められました。

日本に於いては、木綿地の織りの細かさや染の品質によって、カテゴリーをいくつかに分けて区別していました。
当然一番上位に位置する更紗とは、細かく織られた木綿布に多色を用いて染められた更紗です。しかしながら、鬼手と通称呼ばれるタイプの、ざっくりとした織り地に2〜3色で染められたものも、更紗としての品質の良し悪しとは別に、その味わいから茶人に好まれていたということです。

インドに於いての更紗産業は大変盛んで重要な輸出品でありましたので、輸出先の好みに合わせたデザインのものも作られるようになりました。
例えば、日本向けには小さな扇文様や家紋のような図柄など、日本的なものが知られています。
また、ヨーロッパ向けには室内装飾やドレス用に草花文様の大胆な図柄の高品質なものが作られました。よく知られている立ち木文様は、インド人好みとしては赤地である所、ヨーロッパ人好みの為に白地にされたようです。

18世紀末頃からのインド更紗とペルシャ更紗について、大変見分けが難しい場合があります。それは、当時職人の行き来が盛んで、ペルシャ人の職人がインドでペルシャ向けのものを製作したり、インド人の職人がペルシャに赴いて製作するなどの理由によります。
更紗に限らず、ペルシャ・サファヴィー王朝とインド・ムガール王朝の美術品においては、判別が困難なものが多数存在することも確かです。

より詳しく更紗の事を知りたい方は、左記の図書などが比較的入手がしやすく内容の良い本です。
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